私がどういう人物かを知ってもらうために
自己紹介を兼ねて自分のことを書くことにしました。
生い立ち
私は埼玉県で2人兄弟の次男として誕生し、
幼少期から成人するまで東京の下町で育ちました。
小学校は公立校でしたが、
母親が比較的教育熱心だったこともあり
中学受験をして中高一貫の私立校に進学、
その後、一年間の浪人生活を経て国立大学に進学しました。
大学卒業後は、インフラ系の国内民間企業に事務系社員として就職し
その後10数年が経過して現在に至っています。
父親という存在と英語
サイドバーのプロフィール欄にも少し書きましたが、
私の父親は商社勤務をしており、海外赴任こそなかったものの、
数か月〜半年というスパンでの海外出張を何度もこなしていました。
そんな父の影響もあってか、
学校英語というものにはいくらか親近感というものがあったと記憶しています。
自分も父親のように英語ができるようになりたい、と。
父は家ではとても寡黙な人物で
普段から息子たちと活発なコミュニケーションをとるタイプではありませんでしたが、
母から伝え聞いたところによると、父は若いころから海外に憧れを持っていて、
髪形や服装などで西洋の有名人(ジェームス・ディーンなど)を真似ていたそうです。
そんな父は若くしてガンを患い、私が大学生の時に他界しましたが、
英語が大好きだった父は、
自宅の病床でも絶えずFEN(Far East Network 極東放送局:現AFN)のラジオ番組を
流していました。
そんな父がある日生前にぼそっとこんなことを言っていたのを今でもよく思い出します。
「英語っていくらやっても分からないんだよね」
当時高校生だった私は、父の発したその言葉を何の気なく聞き流しましたが、
父が亡くなってから十年以上も後になってようやく
この言葉の持つ重みを思い知らされました。
父は帰国子女ではありませんでしたが、
確かに、英語を必要とする仕事をやっていました。
父は時折、自宅にあった英文用のタイプライターで文書を作成していました。
父親の周りには外国人の友人が何人もいたことを覚えています。
そんな父が、まるで生涯教育のように自分の英語力を鍛え続け
英語を習得し始めて数十年たってもなお、壁に突き当たっていたという光景は、
仕事上の要請から英会話を数年前から本格的に習い始めた私にとって
絶望に満ちた残酷であると同時に、励ましの言葉でもありました。
(つづく)
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