そして卒業後に、ロンドンのとある職場で半年間のインターンシップをしていました。
ですが、、、正直なところ、今でも英会話には苦労しています。
あなたの夢をぶち壊すよう申し訳ないのですが、1年や2年ばかり海外にいただけでは、余程環境に恵まれていて、かつ、相当本人が努力をしない限りペラペラにはなりません。
あと、年齢にもよります。年を取れば取るほど不利、これは正しいと思います。
それでも、苦労しているからこそ分かる理屈があると思うので、普段感じていることを書いてみたいと思います。
「英語漬けの生活が『英語脳』にする」にオブジェクション!!
イギリスの大学院では、正式なコースを受講する前にプリセッショナルコースという語学の授業が用意されている場合が多いのですが、(もちろん追加料金を払います)
そこで先生は次のように言っていました。
「分からない単語を調べるときは英英辞典を使いなさい」
「英単語帳を作るときは単語の意味も英語で書きなさい」
初めの頃はこの言葉を忠実に守って勉強をしていましたが、2〜3ヵ月経過したある時、私はこう悟りました。
「あ〜、これは外国語で苦労したことのないネイティヴスピーカーの論理だな」
例えば、「hesitate」という単語に初めて出会い、単語帳で覚えるとしましょう。
この単語をOxford Advanced Learner's Dictionary(http://oald8.oxfordlearnersdictionaries.com/)
で調べると
to be slow to speak or act because you feel uncertain or nervous
とあります。
でもそう言われても直感的に頭に入ってこないでしょう?
むしろ、日本語で「躊躇(ちゅうちょ)する」と覚えた方が頭に入りやすいんです。
そして、日常生活の中でhesitateという言葉を使う場面に遭遇したとき、
初めは頭の中で「躊躇する→hesitate」(話すとき・書くとき)「hesitate→躊躇する」(聞くとき・読むとき)とイチイチ変換していたものが、何度か繰り返すうちにこの変換作業が省略されていくのです。
ですから、一つ一つの単語、フレーズについて英語脳になる瞬間があって、そういうものの数が増えていくことによって次第に全体が英語脳に変わっていくものなんだと実感しました。
「母国語を普段の生活から徹底的に排除しなさい」
これも私に言わせれば疑問です。
人間の脳って、マルチ言語に対応できるようになっているんではないかと思います。
つまり、うまい具合に複数の言語モードのスイッチを切り替えられるようになっていると。
だから、外国にいて日本語を話したり、読んだりしたからといって英語の上達の妨げになるとは思いません。もっとも、あとで触れる通り、そういう時間ばかりが増えてくると、英語の上達速度は必然的に遅くはなります。
コロンビア人留学生との会話から判明した日本と他国における英語環境の決定的な違い
ロンドンには世界各国から学生が集まってきます。私が通っていたロースクールも90%以上がイギリス以外から勉強しに来たいわゆる海外留学生でした。
日本の学生も十数人いましたが、他国から来ている学生に比べると、私も含めて英語が上手くない(流暢に話せない)人が多かったです。
ある日、私は寮の食堂で一緒になったコロンビア出身の留学生に聞いたことがあります。(彼らの母国語はスペイン語です)
「あなたの国の留学生は、どうしてそんなに英語が上手な人が多いの?」
そうしたら、こんな回答が返ってきました。
「私の国ではテレビ番組のほとんどに英語の字幕がついているの。だから小さいころから嫌でも英語が目に入ってくるのよ」
私は驚きました。彼らにとって英語は学校で教わるものではなく、生活の一部なんだと!
現代ほど英語を勉強するのに適した時代は未だかつてない!!
このことは、逆に言うと「外国語というのは今や海外に住まなくても習得できるのだ」ということを言っているにほかなりません。
ましてや、インターネットが発達した今日では、ひと昔前は想像すらつかないくらい、いとも簡単に英語に触れることができます。
英語で書かれたウェブサイト、You Tube、スカイプを使った格安の英会話レッスン、DVDの字幕などなど。
先ほど紹介したコロンビア人のように、黙っていても英語に触れされられる環境にある、とまでは行きませんが、日本にいたとしてもその気になれば自分から英語三昧の毎日を送ることができるかもしれません。
それでもやっぱり海外に住むのが英語上達の近道っ!だと思います
海外に住むことの利点は、
1.否が応でも英語を使わなければならない状況に追い込まれる
2.いわゆる「外国人アレルギー」がなくなる
ということが挙げられます。
つまり、コミュニケーションをしたいという気持ちさえあれば、
意識をしなくても自然と「こういう時は英語で何て言えばいいのかな」
と考える習慣が付きます。
日常会話程度なら、毎日同じような英語でのやり取りを繰り返しているうちに
反射的な受け答えができるようになります。
でも、これを日本でやろうとするとなかなか難しいですよね。
「常に英語で物を考えよう」と思っても、なかなかできない。
本当の意味での「必要性」に駆られていないからです。
それができる人は余程の精神力の持ち主です。
海外長期生活イコール「ペラペラ」の嘘
逆に言えば、海外に行っても英語が話せるようにならないという状況は
いくらでもあるのです。
私の知り合いで、20年以上海外で生活しているにもかかわらず
英語がほとんど話せない、という人がいます。
職場はみな日本人、住んでいる場所も日本人が多く住んでいる地域を選んで
それほど英語を話す必要がない「安全な」状況に自分の身を落ち着けて
しまったからです。
留学についても同じことが言えます。せっかく外国に来たのに、
同じ国同士の人たちと仲間になって母国語で話してしまうと、
英語はいつまでたってもうまくなりません。
でも、初めのうちはとくにそうですが、
そのような人たちと付き合う方が楽だという風に思う気持ちはよく分かります。
私もそうでした。
私の経験では、中国や台湾から来た人でそういう人を多く見かけます。
彼らはとにかく仲間意識が強いんです。
でも、ヨーロッパの人たちから見たら日本人も同類に見られているかもしれません。
私の場合も、たまには日本人の友人と一緒と飲んだり食べたりして息抜きしたい、
と思うことがよくありました。そういうときは我慢せずに、
その代り日本語を話せない友人を極力仲間に入れることにしていました。
外国人がいる前で日本人同士で日本語をしゃべるというのはなかなか出来ないものです。
彼らの中には気を遣って「別に構わないよ」と言ってくれた人もいましたが、
自分がやられたら疎外感があって感じが悪いと思うことなので、
相手に対しても普通は出来ないものです。
(つづく)