今回は浪人時代のことを振り返って書きます。
浪人生活というと大学受験生にとっては暗黒の時代の象徴ですが、
1年という長丁場ゆえ前半戦は意外とのんびりと過ぎていくものです。
これからご覧いただくのは今から20年ほど前のお話。
ごくフツーの浪人生が経験した英会話にまつわる鈍臭い一コマです。
少しの間お付き合いください。
初めて話したガイジン
私は大学受験に失敗し浪人生活を余儀なくされることになりました。
よほどZ会(前回参照)が気に入ったのか、
当時では珍しい宅浪(自宅浪人)という手段を選びました。
宅浪生は通常の予備校生と違って、
わりとフレキシブルにスケジュールを立てることができます。
私の場合、週2〜3回は近所のスポーツジムで運動をしていたと記憶しています。
そのジムで私はフィリピン人の若い男性と知り合いました。
彼は優しそうな感じの人でしたが、ほとんど日本語がしゃべれませんでした。
私は、どのような目的で日本に入国したのかも気にせずに
英語がしゃべれる・聞ける
という単なる好奇心だけで彼に近づいて行きました。
今考えると、あまりの危機意識のなさに呆れてしまうというか、
世間知らずの「あまちゃん」でしたね。
でも当時は、スカイプ英会話やカフェ英会話のように格安で簡単に
生の英語に触れる機会というものはなく、
ましてや英会話教室などはレッスン料が高すぎて
学生にとってはまるで高嶺の花でした。
正直なところ、
これは英語を話せるようになるチャンスだ!
と思いました。
一方、相手がどう思ったかは分かりません。
しかし、そんな独りよがりの私の思惑もあっけなく潰えます。
私たちは、初めて会って何となく意気投合したのち、
次回はお互いに時間を合わせてジムに行こう、ということになりました。
当時はフェイスブックはおろか、
携帯電話も電子メールもほとんど普及していなかった時代。
こちらから連絡するときには、相手のポケベル(!)に連絡する約束をして別れました。
後日ジムに行こうと思い立ち、
早速ポケベルに連絡を入れると、間もなく彼から折り返しの電話がありました。
しかし結果は、、、あえなく撃沈。。。
無理もない、当時の私は
英語での電話のやり取りおろか
対面での会話さえも
全くといっていいほど経験のない状態だったので、
電話での意思の疎通が全く成立しませんでした。
みなさんもご承知の通り、
英語での電話のやり取りは、
手振りや表情を交えた対面でのやり取りよりも
はるかに難易度が高いもの。
まるでスキー初心者がいきなり上級者向けコースで滑るようなものです。
その一件があって以降、彼の姿をジムで見かけることは一度もありませんでした。
英検準1級 = 難関国立大入試英語 ??
浪人中にはこんなこともありました。
ある日、私の友人がこう言いました。
「英検準1級を受けてみなよ、語彙レベルは国立大の入学試験と同じぐらいだから。
気分転換になる上に合格すれば資格が取得できるからいいアイデアだと思うよ」
早速、本屋に出向いて過去問題集をペラペラめくっていると、
なるほど、英検の勉強と受験英語はオーバーラップする所があるかもしれない、
と思い、すぐに受験の申し込みをしました。
どのような出題内容だったかはとっくの昔に忘れましたが、
たしか筆記試験は語彙・文法・読解力などに関する選択肢問題だったと思います。
筆記試験を受験してから数週間後、幸運にも合格通知が届きました。
問題は、、、それから数日後に行われた面接試験でした。
今も同じかどうかは分かりませんが、
面接試験はネイティヴスピーカーの試験官により行われ、
最初に簡単な日常会話のやり取り(スモールトーク)が一通り行われたあと、
4コマ漫画を渡され、それをストーリー仕立てにして英語で要約して話すというものでした。
もちろん過去問対策は事前にしっかり行って面接に臨んだものの、
それまで英会話というものをほとんど経験したことのない私にとっては、
脂汗が流れる試練の時間
となりました。
面接室に緊張した面持ちで入った後、
スモールトークの中で試験官から「どこに住んでいるのか」と聞かれ、
当時自分が住んでいた「○○区」の「区」の部分を英語で何というのかを
相当長い時間考えた挙句、何と答えたか覚えていない
という有様でした。
今思えば、分からない言葉があれば自分が分かる言葉に置き換えて話すでしょうし、
そもそも「区」とか訳す必要ないですね(笑)
無論、当時の私にはそんな機転を利かす余裕も、経験値もありませんでした。
結果は、推して知るべし、不合格と相成りました。
ということで、いまだに英検の資格は持っていないのであります。。。
(つづく)
ブログランキング参加中です。あなたのクリックは私の励みです。
今後は留学中の経験談も織り交ぜて精力的に更新していく予定です。